発達障害はなかま!

発達障害(自閉スペクトラム症(通称自閉症)、注意欠陥多動性障害など)ということばはもはや一般化されていると思います。こどもが発達障害だったらどう対処するか、大人の発達障害ではどう対処するか、についてはだいぶ方法論としては成熟してきていますが、現場では対応が難しいケースが多いと思います。それはなぜでしょうか?

 

発達障害のある場合は早期からの療育(適切な対応をすること)はこどもの発達に関して意義のあることであることは分かってきており、アメリカでは国のプランとして早期療育を謳っております。日本の乳幼児健診でも発達障害を早期発見することは重要課題であり、何とかこどもたちがうまく軌道にのるように考えられています。発達障害とわかると適切な支援につなげ、専門的な療育を用いながらこどもたちが生きやすいように助けている現状です。これを続けていけばうまく行きそうなものですが、どうでしょうか?

 

社会問題化している不登校、いじめ、引きこもりなどに発達障害が関連していることは多いと思っております。発達障害のこどもは特徴があるためいじめの対象になる、あるいは逆に特性からいじめをしてしまう場合もあります。また、多数の定形発達者の中で発達障害児の特徴あるいは考え方は『少数派』であり、さらに仲間を作ることが苦手なためこども社会の中で孤立し不安が付きまとうケースが多いです。そのためいわゆる自己肯定感、自己承認感が損なわれ社会から逸脱する、つまり不登校になる可能性が生じます。大人ですと引きこもりです。個人より社会が基本だからです。『社会』問題、という言い方が如実に示しています。

 

早期療育によって自分の特性に合わせた対処法を周りがするあるいは自分が憶えていくことで、自分の発達や学習可能な社会性スキルののびがスムーズになっていきます。ストレスやできないこと、いらいら感への対処法を学びセルフコントロールができるようになると自分の力を発揮できるようになっていくとは思います。ただ、それはあくまでもその子という『個』の話です。こども社会の中で発達障害児が社会性スキルがうまくなったとしても、、、それで解決するのでしょうか?

 

私は解決するとは思いません。個人レベルで達成できる=見守られた環境でできる、でしかありません。社会の中では見守られていないことが多いです。見守りを強化していても、見守られていないわずかな隙を狙ってトラウマになる危機的瞬間はやってきます。それはとっても些細な事なんです。こんなことで、というようなことで傷つきます。

自分のみで解決しなければならない、あるいは助けを借りることができても一時的でしかない状況がほとんどと思います。いかに自立心をトレーニングで培ったとしても現実は容易にそのレベルを超えていきます。

 

ここを改善するための方策は2つ。自分と社会、です。

 

自分について。自立心を高めることが必要であり、療育では日々行われています。個人スキルとしては必須のものです。自分のしあわせを実現するためには自分の努力はどうしても必要と思います。そのためには見えないように管理されたハードルが必要でしょう。

もう一つの社会。こちらを今以上に変えていく必要があります。

身体障害に関してはバリアフリーが一般化してきています。これは自分も将来老人になるとそうなるだろうなあ、とイメージできやすいですし、障害者って大変だなあ、という意識を持つことは目に見えることですので比較的容易です。支援の方法も具体的なものや行動で示すことができます。

これを発達障害にも当てはめていかねばなりません。今の社会で発達障害バリアフリーがどの程度できているか実感できませんが、現状ではごく限定的と思われます。発達障害とは?とか発達障害のこども、おとなにはどう対処するか、を頭で理解するのと、体で理解するのは大きな開きがあります。

発達障害に対する偏見はまだまだ強いように感じます。自分は発達障害ではない、という意識ありませんか?発達障害者と定形発達者は別ではありません。発達障害者は特性が強いだけで定形発達者と一緒です。運動能力、知的能力、音楽能力などと一緒で、苦手なところから天才的なところまで虹色のようにつながっています。コミュニケーションという自分の精神的利害が大きくからむ分野での特性ですので自分に降りかかってくると困る、という意識があるはずです。なるべく避けていたい、と思っていませんか?

 

大人が発達障害に慣れていく必要があります。

まずは学ぶことです。皆が学んで発達障害は普通にあるという意識まで慣れましょう。

次に実践です。発達障害のこどもはグレイゾーンも含めて20%(大人もそうでしょう)。間違いなく身近にいます。発達障害のこどもに触れて、その特性を学びましょう。色々な『えっ』を展開してくれます。発想力は『社会』的ではないことも多く、常識からするとダメと言ってしまいます。ただそこは我慢して、なんで?という意識で見ると素敵な答えが出てきます。慣れてくるとうまく一緒に遊べるようになります。

発達障害のこどもの素晴らしい特徴を示します。

『純粋である』

この一言につきます。ものすごくきれいな心をしているんです。ひとは社会に出るといろいろなことを身に着けていきますが、その色が薄い。とても美しいです。

 

我が子が発達障害であったとしたら?受け入れる準備はもうできているはずです。あとは受け入れる勇気です。世間の色々なカミングアウトと同様に受け入れる、すると何かを超えたようなスッキリ感があるはずです。こどもの一番良いところが見えてきます。こどもが今以上に愛おしくなります。懸命な姿に心打たれることでしょう。

気になるところも色々あるとは思いますが、飛びぬけていいところが必ずあります。そこを大事にしていきましょう。

 

大人の偏見がとれれば物事は流れ始めます。こどもは対応力に優れています。定形発達のこどもも発達障害とは何かを学び、こども同士の関わり合いの中で実践していく。こどもは発達障害児とうまくやっていくことができます。初見ではトラブルをおこすかもしれませんが、大人が本当のことを教えてあげれば納得してうまく対応できるようになります。大人の偏見が全てです。

大人が偏見をなくす→こどもに本当のことを伝える→こどもどうしで実践する

簡単なことではないとは思いますが、徐々に変わっていくはずです。

 

 発達障害のこと、学んでいきましょう。そこにひととしての生き方の真髄があります。

 

追加:

 大人の発達障害は難しいです。なぜなら何もかもがほぼ完成されているからです。発達特性、二次障害、周囲の意識、自分の位置、自分の存在感覚など。変えることはとても難しいです。

 ひとつだけ改善する余地があります。本人が自分の発達障害を受け入れ自分として前向きになること。それまでの謎が解けることでしょう。他人や特性のせいにしてはいけません。過去を主観的に振り返ることは有害でしかありません。客観的な振り返りのみが有用です。

発達障害は理解すると自分をうまく操作することができるようになります。そこに社会や相手の理解が加われば新たな人生を歩める可能性があります。ただ、それだけのパワーが残っているかどうか、に関しては難しいケースが多いとは思います。

 そのパワーはこどもの時期には溢れています。幼い時期から親とともに自分の将来を見つめていくことの必要性はここにもあります。

(R2年1月16日)
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